アルツハイマーの母を遠方から見守る娘の徒然ブログ

アルツハイマー病と診断された母と遠方から見守る娘の闘いの日々です。

大晦日の大喧嘩

年末年始の休みに実家に帰省しました。実家はゴミ屋敷のようなひどい状態で、足の踏み場もありません。何度も「片付けした方がいいんじゃないの?」と、声をかけても、「分かってる。うるさい。明日やる。」と言うばかりで一切片付けようとしません。

大晦日まで母が自分で片付けるのを声をかけながら待ったのですが、大晦日の夜になっても片付けはしませんでした。

 あまりの状態に、我慢できず、私が片付け始めると、母は、怒りだしました。

「触るな‼大事な物がたくさんあるんだ。明日片付ける。」と。

そうは言っても一向に片付ける様子はないので、「片付けない訳にはいかないでしょ。いつからこの状態だと思ってるの‼」と言い返し、そのまま片付けを続けました。すると、母は怒鳴りだしました。

「触るな。うるさい。昨日片付けようとして途中になってるだけだ。嘘つき。出ていけ。二度と帰ってくるな。」

そんな怒声とともに頭を何度も殴られました。

私が言い返したのが、悪かったのかもしれません。でも、やっぱり殴られたのにはショックを受けました。

力はさほど強くないので殴られても痛くはありませんが、感情に任せて殴る母の姿は衝撃でした。

大声で怒鳴りながら、何度も殴る母の顔。母親の顔ではありませんでした。怒っているのに、無表情で、あの顔は忘れられないでしょう。

殴られながらも片付けを続けると、母は、一瞬、怒鳴りながら、台所に行きました。

すぐに茶の間に戻ってくると、自分の腕のアザを見ながら、

「聞いてもいいか?これ、皮膚科に行けば診てもらえるだろうか?」

は??何の話???

あまりの変わりようにびっくりです。

怒鳴り散らしながら私を殴っていたのに、1分も経たず、すっかり忘れて別の話をしだす母。

「え?今、たった今、私を殴っていたのは?覚えてないの?」

と、聞いても、まったく覚えていませんでした。

「へぇ~」

と、言うだけ。

 

もちろん病気のせいだと言うことは重々承知です。ただ、あまりの豹変ぶりに言葉もありません。

散々殴っておいて、散々罵声を浴びせておいて、散々傷つけておいて、自分だけきれいさっぱり忘れる。

受けとる私の心には、母の言葉ひとつひとつ、表情ひとつひとつ、殴られた痛みひとつひとつ、すべて積み重なっているのに…

認知症になる、と言うのは、本人も辛いのかもしれません。でも、本人はすべて忘れる事が出来るのだから、周りの家族に比べたら、幸せなのかもしれません。

 

私は、絶対に忘れません。病気だから、と許す気持ちにはなれません。

服薬管理の難しさ

母は先日、病院で血液検査を受けました。元々コレステロールや血中脂質、尿酸が高く、定期的に検査を受けています。

コレステロールや血中脂質の値は維持していたものの、尿酸値が高く、先生も、見たことのないくらいの値、とのこと。

薬が飲めていない事が原因です。

先生には「介護サービスで服薬管理の補助をしてもらうとか、よく相談して」と、指導を受けました。

母は一切の介護サービスを拒否している事を相談すると、「こういう病気の人は、拒否してしも、話を聞くだけで、進めるしかない」と言うことでした。

毎日、電話して薬を飲むように言っても、「飲んだ」と言うだけで、実際には飲めていない状態です。

先生が、朝だけ飲めば良いように薬を替えてくださいました。

なんとかきちんと飲めるように、頑張らなくてはいけません。

 

 その日の午後、オレンジチームの担当の方と面接がありました。

オレンジチームの方がいらしたので、私が玄関に出てあがってもらいました。

すると母は「なんで、あげるの(怒)」と、怒っていました。

オレンジチームの方がいらっしゃる間、母は終始機嫌が悪く、何を勧められても一切拒否。

自分で全部出来る、と。

病院で先生に薬をきちんと飲むように、服薬管理の補助を相談するように、言われたことを話しました。

オレンジチームの方は、

「先生にも言われているようですし、ひとまず1ヵ月だけ薬をちゃんと飲んでいるか、確認に伺ってもいいですかぁ?」

と言ってもくださったのに、

「毎日、いつかるかいつかるかと待ってないといけないのはわずらわしいから、いいです。自分で全部出来ます。」と、拒否。

どんなに説明しても、一切受け入れませんでした。

すべて「自分で全部出来る」と。

全く話になりませんでした。

オレンジチームの方もなす術なく、帰られました。

 

オレンジチームの方との面接の後、母と話をしました。

茶の間は新聞やゴミ、食べ残し等々、ゴミ屋敷のようなひどい状態です。この状態を見て、どう思うのか、聞いてみると、

「この状況は普通ではないと思うけど、こうなってるのは昨日くらいからだから。すぐ片付けるから。」

とのこと。

ほぼ1年、このままだと、話しても、「そんな訳ない。嘘だ」と信用してくれませんでした。

 このまま、介護サービスを拒否し続けるということは、私や弟の負担がどんどん増えて、ずっと大変な思いをする事になるのは分かるか?と、泣きながら訴えても、

「そうなのか。でも、自分で全部出来るから、様子をみる。」

と、全く母には響いていませんでした。

母には、私や弟の事を思いやる気持ちはなくなってしまったようです。

自分のことしか考えられなくなってしまったようです。

 

今後は朝だけの服薬ですが、きちんと飲めるとは思えません。電話をしても、

「薬は飲んだ」

と言うばかり。

飲んでないから、飲んで、と、頼んでも、

「飲んだって言っているんだから、もういい。」

と怒りだします。話にならないことがほとんどです。なんとか薬を飲ませたいのですが…

思い付く事は全部試してみたのです。もうどうしたらいいか…途方にくれる毎日です。

オレンジチームの訪問

包括支援センターの担当の方から連絡がありました。

先週、オレンジチームで母を訪問してくれたそうです。

玄関なチャイムを鳴らしても、母は出なかったようで、「留守かな」と思ったものの、茶の間の窓から声をかけたら、ようやく玄関を開けたとのこと。

でも、「具合が悪くて寝てるから」と、すぐに玄関の鍵を閉めてしまったそうです。

母は髪もベタベタ、服も前回と同じで、お風呂に入ることも、着替えも出来ていないのかもしれない、とのお話でした。

なかなか母と話が出来ないため、次回の面接は同席して欲しい、と言われました。

多分、母は、

「誰か来たけど、知らない人だし、面倒くさいし、具合が悪いことにしよう」

と、思ったのでしょう。

昔からそういうところのある母です。

お風呂も昔から嫌いで、出かける等必要にかられない限り入りません。服装も気にしない性格で同じ服を着ていることもよくありました。

アルツハイマーになったから、という事ではないのだとは思います。でも、症状は確実に進んでいるのでしょう。

 

 体の病気で本人が痛い、苦しい等でもない限り、アルツハイマーに関する症状が少々進んでも、新たな症状が出てきても、あまり気にしないようにしています。母の事ばかり考えて、一人あたふたしても仕方ないのです。考えてばかりでは、精神的にまいってしましますから。

冷たいようですが、自分で自分を守ることも必要だと、思うのです。

母の記憶

ここのところ朝、晩の薬飲んでね電話をサボりがちです。朝は電話出来ても、夜はなかなか通話ボタンが押せずにいます。この頃は母の機嫌も悪くはないのですが…

週末、休みの日は朝の電話もしないことが多くなりました。

毎日毎日、母のことばかり考え、定期的に電話をすることが苦痛で仕方ありません。

薬は飲まないといけませんし、様子を確認する必要もあるのは分かっているのに。

 

最近、母は朝10時半頃に電話してもまだ寝ていることがあります。電話に出ると「夜、眠れなくて、ついさっき寝たばかりなのにっ‼」と怒っています。記憶が10分ももたない母の「夜眠れない」をどう捉えればいいのか…

一緒に生活しているわけではないので実状は分かりませんが、眠れない訳はないと思うのです。眠れない事を覚えているのでしょうか。

認知症の症状の1つに睡眠障害もあるようです。母にもその症状が出てきたのでしょうか。

薬がちゃんと飲めない日々は続いています。ファイルに日付毎に分けて入れてあり、その日の日付の数字の薬を飲めば良いようにしてあるのですが、それが理解出来ないようです。

7日に「7」の記載してあるポケットの薬を飲めば良いのですが、それが出来ません。

「1から飲めばいいのね。」

「2も3も入ってるけど、前から飲めばいいのね。」

 何度説明しても日付の数字とポケットの数字を合わせる事を理解出来ません。記憶だけでなく理解力も衰えて来ているようです。

また、薬の入ったファイルもどこに置いたかすぐに分からなくなります。薬を探しているうちに、

「あれ?何、探してたんだっけ?」

と、探しているものも忘れてしまいます。記憶もどんどん衰えているのを感じます。

 

アルツハイマーと診断されて来月で1年。早かったような、果てしなく長かったような…いつまで続くのでしょうか。気が遠くなるようです。

 

二度目のMRI

先日、2度目のMRIを撮りました。12月から約8か月。脳の状況を確認しました。MRI検査の結果、脳の状況は12月から変化なし、とのことでした。

先生はもう少し悪くなっているか…と思っていたとのこと。良くなることはないけど、症状は進んでいないようでした。

薬が飲めていないことを相談すると、先生は、デイサービスに行っていれば、薬も飲ませてくれるのだけど…と。

デイサービスどころか一切の介護サービスを母は一切拒否しています。それを伝えると先生は母に「デイサービスは自分のためじゃなくて家族のために行くんだよ」と話してくださいました。

それでも…

母は「いいっ」と、機嫌悪く言うばかり。先生に言われても聞かない母です。

きっと、母が介護サービス利用する日は、症状が進んで、母の意識がなくなる頃かもしれません。

今回の検査で、母の症状が進んでいなかったことに一安心する一方、これから先が果てしなく長いことを再確認させられました。診断が出てから8か月。それでも長くキツい毎日でした。

それなのに…

これから先はもっともっともっと…長いのですね。先が見えないくらい。

気が遠くなります。

 

こんなことを言ってはいけないのは分かっていますが…

いつになったら、この地獄のような状況から解放されるのでしょう。

いつになったら、母に優しく出来るようになるのでしょう。

いつになったら、母は一人で生活出来なくなって、施設にお世話になれるのでしょう。

今は…

1日でも早く母が介護サービスを受け入れて、施設に入れるようになる日をひたすらじっと耐えて待つほかありません。

優しく出来ない毎日

母がアルツハイマー病と診断されてから、8か月が経ちました。診断された当初はどうしていいか分からず、ただただ不安な毎日でした。どうしたら今の状態を長く保てるか、そればかり考えていました。

薬も欠かさず飲ませなくては‼と必死で、夜中に「薬‼」と、飛び起きる事もしばしばありました。何をしていても母の事が頭から離れず、薬を飲み忘れる事への恐怖感があり、心休まる時がありませんでした。常に切迫感を感じていました。

そんな状態がしばらく続いた頃から、徐々に母に優しく出来なくなってきました。車の鍵を取り上げた事で母の癇癪が起きるようになった事も大きいかもしれません。母から浴びせられる言葉が一つ一つ心に積もって、病気のせいだと頭では分かっていても、心が母を拒否するようになってきました。

母の日にミニバラとラベンダーの寄せ植えを贈ったのですが、次に実家に帰った時には、玄関の外にほおり出させれていました。

何をしてもどうせ覚えていないのだから、やる意味がないのでは…と感じるようになりました。

食事に連れていってもすぐに忘れ「誰もどこにも連れていってくれない」と不満ばかりです。お寿司を食べに行った帰りの車の中、「最近、寿司食べてないから食べたい」と言います。

 見返りを求めている訳ではないけれど、なんともやるせない気持ちになってしまいます。

 

私は母に優しく出来ません。どうしても。

母の症状が進んで施設にお世話になるようになったら…優しく出来るようになるのかもしれません。

ふと、思い出しました。私は母が嫌いだった事を。結婚してから、すっかり忘れていた母への気持ちを。 

おれんじサポートチームえがお 2

お盆休みに入る前、包括支援センターの担当の方から連絡がありました。

おれんじサポートチームえがおの方が何度か実家を訪問して母の様子をみてくれている、との事でした。

一度目は玄関先で断られた事、二度目は話ができた事、母の履いていたズボンの膝が破れていたので、転んだのではないか、と心配してくださった事等、報告を受けました。

ズボンの膝は前から破れていて、そのまま履いているので、心配はない事をお伝えしました。

私のお盆休みに帰省の予定に合わせて訪問してくださることになりました。

お盆休みに入って、おれんじサポートチームの方と包括支援センターの担当の方がお二人で実家を訪問されました。

相変わらず母は拒否反応を示し、家に上げようとはせず、玄関先で断ろうとしていました。

私が家に上がって頂くように話すと、母は、来られたお二人に背を向けた瞬間、ものすごい嫌そうな顔で声に出さす、「この人たち、何しにきた」と唇で言っていました。

おれんじサポートチームの方と包括支援センターの担当の方は、雑談をしながら、母の状態を確認されていきました。

母は、「車が運転できないと、何も出来ない」「家の中にこもっているだけで、どんどんボケる」「気晴らしにも行けない」「病院にも行けない」と車の運転を禁じられた不満を何度も何度も繰り返していました。

担当の方に「車がないと何が一番困りますか?」と聞かれると「買い物も自転車で行けるし、病院も子ども達が連れていってくれるし、散歩もしているし、特に困ることはない」と。

言っている事のつじつまが合いません。車の運転が出来ないと困ると、さんざん文句を言いながら、実際に困ってる事はない、と。

 車の運転が出来ない=ボケる

を繰り返している母に、担当の方が「何か良い情報があったらお知らせしましょうか?」と提案して下さったのですが、即座に「わずらわしいし、迷惑だ。情報は新聞を読んでいるので間に合っている」と拒否。受け入れるつもりは一切ないようでした。

 何についても拒否反応を示す母。介護サービスを利用できる日が来るのでしょうか。おれんじサポートチームの方や包括支援センターの担当の方にお任せするしかないのですが、先が思いやられます。

ここのところ、薬もほとんど飲んでいません。薬飲んでね電話では「飲んだ」「分かった」と言うものの、実際には飲んでいないのです。もはや飲み忘れのレベルではなく、たまに飲む、と言う程度。離れて暮らしている中で薬の管理をするのはとても困難です。何かいい手があれば良いのですが…

お盆休み。去年までは休みの初日から最終日まで丸々帰省していましたが、今年は半分だけにしました。実家で母と顔を付き合わせているのが辛く苦しいのです。

散らかり放題の部屋を片付けようとすると、「大事なものがたくさんあるんだから、触るな‼」と怒り、喧嘩をしながら片付けなくてはなりません。食事も、一切作る気がなく、「お腹すいた。何食べる?」と言うだけ、ただ待つだけです。少し用意が遅くなると、「遅い。こんなに遅くなるなら、一人で食べれば良かった」と怒り出します。

そんな母と一緒にいると精神的に疲弊し、長い時間は耐えられません。休みの時くらい一緒にいるのが良いのは分かっているのですが…