アルツハイマーの母を遠方から見守る娘の徒然ブログ

アルツハイマー病と診断された母と遠方から見守る娘の闘いの日々です。

おれんじサポートチームえがお 2

お盆休みに入る前、包括支援センターの担当の方から連絡がありました。

おれんじサポートチームえがおの方が何度か実家を訪問して母の様子をみてくれている、との事でした。

一度目は玄関先で断られた事、二度目は話ができた事、母の履いていたズボンの膝が破れていたので、転んだのではないか、と心配してくださった事等、報告を受けました。

ズボンの膝は前から破れていて、そのまま履いているので、心配はない事をお伝えしました。

私のお盆休みに帰省の予定に合わせて訪問してくださることになりました。

お盆休みに入って、おれんじサポートチームの方と包括支援センターの担当の方がお二人で実家を訪問されました。

相変わらず母は拒否反応を示し、家に上げようとはせず、玄関先で断ろうとしていました。

私が家に上がって頂くように話すと、母は、来られたお二人に背を向けた瞬間、ものすごい嫌そうな顔で声に出さす、「この人たち、何しにきた」と唇で言っていました。

おれんじサポートチームの方と包括支援センターの担当の方は、雑談をしながら、母の状態を確認されていきました。

母は、「車が運転できないと、何も出来ない」「家の中にこもっているだけで、どんどんボケる」「気晴らしにも行けない」「病院にも行けない」と車の運転を禁じられた不満を何度も何度も繰り返していました。

担当の方に「車がないと何が一番困りますか?」と聞かれると「買い物も自転車で行けるし、病院も子ども達が連れていってくれるし、散歩もしているし、特に困ることはない」と。

言っている事のつじつまが合いません。車の運転が出来ないと困ると、さんざん文句を言いながら、実際に困ってる事はない、と。

 車の運転が出来ない=ボケる

を繰り返している母に、担当の方が「何か良い情報があったらお知らせしましょうか?」と提案して下さったのですが、即座に「わずらわしいし、迷惑だ。情報は新聞を読んでいるので間に合っている」と拒否。受け入れるつもりは一切ないようでした。

 何についても拒否反応を示す母。介護サービスを利用できる日が来るのでしょうか。おれんじサポートチームの方や包括支援センターの担当の方にお任せするしかないのですが、先が思いやられます。

ここのところ、薬もほとんど飲んでいません。薬飲んでね電話では「飲んだ」「分かった」と言うものの、実際には飲んでいないのです。もはや飲み忘れのレベルではなく、たまに飲む、と言う程度。離れて暮らしている中で薬の管理をするのはとても困難です。何かいい手があれば良いのですが…

お盆休み。去年までは休みの初日から最終日まで丸々帰省していましたが、今年は半分だけにしました。実家で母と顔を付き合わせているのが辛く苦しいのです。

散らかり放題の部屋を片付けようとすると、「大事なものがたくさんあるんだから、触るな‼」と怒り、喧嘩をしながら片付けなくてはなりません。食事も、一切作る気がなく、「お腹すいた。何食べる?」と言うだけ、ただ待つだけです。少し用意が遅くなると、「遅い。こんなに遅くなるなら、一人で食べれば良かった」と怒り出します。

そんな母と一緒にいると精神的に疲弊し、長い時間は耐えられません。休みの時くらい一緒にいるのが良いのは分かっているのですが…