アルツハイマーの母を遠方から見守る娘の徒然ブログ

アルツハイマー病と診断された母と遠方から見守る娘の闘いの日々です。

始まり。

2016年12月。

遠方に一人で暮らす母と週に何度か電話で話をしていたのですが、
なんだか様子がおかしい、と、気がつきました。

私:どうしたの?何かあった?

母:ん~。別になにも。
 ただ、胸にしこりがあって、心配で夜も眠れないんだ。

私:病院には行ったの?

母:行ってない。

私:早く病院で診てもらわないと!!

母:分かった。病院に行ってくる。心配してても仕方ないもんね。

これが全ての始まりでした。

次の日。
状況を確認すると、まだ病院には行っていないと言う母。

そして次の日。
再度状況を確認すると、予約が1週間後と「書いてある」と。

え?「書いてある??」

自分で予約をしたはずなのにまるで誰がか手配したかのような言いように驚きました。
でも、母は元々病気に対して必要以上に神経質になる性格で、前から少しでも気になる事があると
心配で夜も眠れない、何も手につかない、ということがあったので、その時はそのままに電話を切りました。

そしてまた次の日。
今度は、母の近くに住む弟から電話がありました。
母の友人から、弟に「母の様子がおかしい」と連絡があったとの事。
病院に一緒に行って欲しいと頼まれ一緒に行ったものの、
予約が入っておらず、受診できなかった…と。
話もつじつまが合わない事が多く、心配して連絡をくれたようでした。

その後、母に電話をして状況を確認したのですが、
友人と病院には行っていない、予約は**日と「書いてある」から…と。

何かおかしい、と思った私は、母が予約していると言った日に、
母には何も言わず、予約時間に病院に行ってみることにしました。

私の住む所から実家までは高速で約4時間。
急遽、仕事を休み、病院へ行くと、待合室にポツンと母の姿がありました。
私が突然現れたことに驚いていたようです。

診察室に入ると、先生から、
「乳腺症だから、心配要らない」と、話したのだけど、心配で心配でどうしようもないから、
と母から無理やり細胞検査をお願いしたと、説明を受けました。

検査が終わった頃、ちょうどお昼の時間だったこともあり、
母の車を病院の駐車場に置いたまま、
病院の近くのレストランで昼食をとりました。
レストランで話をしている中では特に変わった様子もなく、
やはり心配しすぎで、混乱していたのか…と少し安心したのを覚えています。

ですが…
昼食後、病院の駐車場に置いていた母の車を取りに病院へ向かおうとすると、
突然、母が「どこに行くの?何で病院に行くの?」と言い出しました。
母は、午前中に胸の検査を受けた事も、駐車場に車を停めてある事も、
何も覚えていませんでした。

驚きましたが、これは本当におかしい、と思い、
その足で、近くの「物忘れ外来」のある脳外科に母を連れて行きました。

MIR撮影、認知機能検査をしてもらった結果、
アルツハイマー病」と診断されました。
脳のMRI画像では、記憶を司る「海馬」が約半分に萎縮しているとの事。
今は、アルツハイマー病の良い薬があるので、治る事はないけれど、
認知機能の低下を緩やかにする可能性がある、
日常生活を送れなくなるまでの時間を先送りできる可能性があると、
先生は分かりやすく説明してくださいました。

母も神妙に説明を聞いていましたが、
病院から実家に帰った頃には、もうすっかり忘れていました。

実家に帰ると、驚きの光景が待っていました。
リビングがゴミや新聞、書類で足の踏み場もない状態。
まるでゴミ屋敷でした。

母は大事な物があるから、触るなと怒っていましたが、
無視して、片づけました。
片付けながら、涙があふれて止まりませんでした。
どうして…どうして…それだけが頭の中をぐるぐるまわって、
ひたすら涙があふれました。


これが、「始まり」です。
遠方にいる母と私の闘いの日々の。

「闘い」などと言うと、大げさな…と笑われてしまうかもしれません。
ですが、当事者の私からすると、まさしく闘いなのです。
母68歳。私43歳。
これから何が起こるのか、いつまで続くのか、先が見えない日々が始まりました。